ベンハミン・ロメオの「ファーストヴィンテージ」ワイン会
僕(ベンハミン・ロメオ)からのファーストヴィンテージワイン会についての挨拶
これまでボデガ・コンタドールでは“10ヶ月間に10回の伝説のワイン会”を開催していますが、ついにコンタドールの順番が回ってきました。今回のワイン会は、特別、異例、唯一で最後となる内容になると思いますので、この会を通じて我々の歴史を知ってもらいたいと思います。 自分自身のブランドワイン醸造を行う“ボデガ・コンタドール”プロジェクトは、アルタディ社在籍中に着想しましたが、作るのも難しいが売る事はそれ以上骨が折れるものです。そんな時2人の幼なじみから「俺達が売るからお前は良いワインを作れ」と後押しをされ、ワイン醸造と販売のタンデムがスタートし現在に至るのですが、今のところ全てがプラスに動いていてとても満足しています。 ブドウ収穫の取材に来ていたスペイン民放テレビ局(TELE5)クルーに「短期間で成功したのですね」と言われましたが、我々は100年以上続くワイナリーに比べたらまだまだ赤ちゃんです。不安と楽しみが交差する仕事ですが、これからもずっと続けていきたいと思っています。 子供の頃は、今の自分の姿を想像することもできなかったです。いろんなことがありましたが最終的にはワイン作りに対してつねに努力してきたことが少しずつ良い方向に向いてくるのだと思うし、日々の仕事や考えが明確になれば物事はうまく流れてくるものです。このプロジェクトを開始し、いいもの、自分の場合はワインを作るために100%の力を出し切らなければなりません。 まずは良い土地やいい樹を手に入れ、その良さを引き出す最良の手入れをし、それらが私に与えてくれるものを最大限に活かす。それ以外にも、取れたブドウを台無しにすることなくワインの完成段階まで持っていくためのボデガ整備や輸送方法など最終的にお客の手に届くまでベストな状態を保てるよう考えていくことも大事ですし、何よりもすべてを愛することが大切です。これらすべてに100%の力を出し切らなければいいものはできないのです。
質と一言でいっても、いろんなレベルがあり、すべてのプロセスが最大の質でなければなりません。今年はひょうなど天候被害などいろんな問題が多くハードワークを強いられた年ですが、毎年ブドウ栽培のコンディションは異なり、不慮の出来事が訪れるものです。しかし何があっても前に進まなければならないし、そうした努力の結果、今年もいい収穫を手にすることができました。 ワイン醸造に関してはいろんな方法、手段があります。私は頭の中にあるアイデアをすべて出しながら試行錯誤しています。私がワイン作りの基本の中でも重要視しているのが、樽とコルクです。樽熟のためには良質の樽を使わなければならないし、それが終わったらコルクでしっかりと蓋をし、40~50年瓶熟に耐えられるようにしなければなりません。そういった細部へのこだわりと私のワインにはすべて「なぜそうなのか」の理由があります。それをここで理解 して頂ければ幸いです。 ベンハミン・ロメオ ◇La Cueva del Contador 1996 完成までの秘話 1995年頃、サンビセンテ城近くの高台のカーヴを購入しました。このカーヴは築700年の歴史があり過去ワイン貯蔵庫として使われたほか、自然災害から逃れる避難所としても使用されていました。カーヴは北西向きで北のカンタブリア山脈の恩恵を受ける立地で、この山脈が北風からカーヴを守ってくれたり、カーブに新鮮な空気が流れるという好環境を生み出しています。また少し西を向いているのは太陽が昇り温度が上がっても、午後12時以降は日陰になりワイン貯蔵に最適な温度が年間を通じて保たれるためです。 このカーヴは昔、ワイン生産者がワインを入れていた皮革(pellejo)でワインをここまで運び、その量を数えていた(contar)場所でした。その後もワインを販売する際には、再び沈殿物を取り除いたり、目減りしていないかを測ったり、またお金の勘定もしていた場所です。 このワインは自分の名前でリリースした初ワインで、感情的にいろんな思い入れがあります。29年前の当時、リオハクラシックといわれる時代に突如現れた21歳の自分は、当時はありえなかったカーボニック・マセレーション(炭酸ガス浸漬法)を行ったり、ソンシエラ村のブドウ畑で作った土着品種ビウラを使ったりと世の中のワインづくりの伝統を壊す存在でした。自分が唯一とは言いませんが、当時リオハの伝統を変えるパイオニアの一人だったと思います。このカーヴで熟成したワインだったからコンタドールのカーヴ(La Cueva del Contador)1996と名付けました。 現在、自分が作っているものに比べれば初ビンテージの1996は青二才ワインと言えます。当時は素晴らしいワインを作ったと自負していましたが、今ほどのポテンシャルはなかったと思います。 4つの樽を使い熟成し、友達と確認と言っては昼休みにカーヴにあがりワインを飲み、日ごとにいい味になっていったことを確認できましたが、頻度と欲求が激しくなり最後にはカーヴに鍵をかけなければなりませんでした。
◇Contador 1999 完成までの秘話 翌年1997年も6つの樽でラ・クエバを作ったのですが、出来ばえには満足できませんでした。結局、当時働いていたアルタディ社に持って行き、Vins de gainとミックスして販売しラ・クエバとしてのリリースはせず、さらに翌98年も96年とは異なる出来でこちらもお蔵入りとなりました。その頃はアルタディ社で働きながら、素晴らしいワインを作ることに集中したいと考えていました。ラ・クエバに満足していなかったし、試行錯誤しながらいろんな可能性を追求していきたかったのです。そんな中で生まれたのがコンタドール1999(Contador1999)でした。 まず、古樹の区画であるボンボン畑のブドウを使って何か作りたいと考えました。当時自分にはきちんとしたボデガがなく、設備がまったく揃っていない両親の家のガレージでワイン作りをしていました。そこでコンタドールが完成し、これは世の中に出せるワインになるのではと実感したのです。時期を同じくして、ソンシエラ村がワイン生産地として注目されるようになってきたのには、ホルヘ・ドネスという現在も活躍する敏腕セールスマンが、サンビセンテ村のワインを全米に紹介し始めたからでした。そんな折、彼がコンタドール99を試飲しその味に魅せられ、ロバート・パーカー氏のところに持っていったのです。パーカー氏にも気に入られ、アメリカに向けに100本の少量販売を行いました。この時は少量生産ですでに在庫もなく、これ以上の販売対応ができなかったためパーカーの得点付けはしませんでした。 当時無名だった自分にとって、これ以後のチャレンジ(賭け)は後に引けない真剣勝負でした。十分な資金や設備もない中、1日10箱を15人のメンバーでエチケット貼りからすべて手作業で行いました。ワイン作りは自分にとって人生そのものですが、同時に生活の糧となるビジネスでもあるし、雑誌で紹介され少しずつ世の中に名前が知れ渡ってくるとマーケットの要望にも応えていかなければなりません。失敗は許されないし、ワインに対する責任も100%のしかかってくるからです。 またこの年、息子のアンドレスが生まれました。息子に「将来お前の生まれ年のワインを全部あげるよ」といいながらかなり飲んでしまいましたが、息子に対してもまた多くの人に初ビンテージを試してもらうためにも、もっと残しておけばよかったと後悔しています。ここ数年初ビンテージを飲んでいなかったが、改めて飲んでみるとよく耐えているワインだと実感します。
◇La Vina de Andres Romeo 2001 完成までの秘話 コンタドール2000がパーカーポイント98+ポイントをマークし、スペイン国内のみならず海外にも名が知られるようになった頃、自分のやりたいことや自分のプロジェクトに集中するためアルタディ社を退職し、少しずつガレージの設備を整えていきました。 その頃、父親のアンドレスが植樹したリエンデ(エブロ川の対岸)畑のブドウを使ったワインづくりを計画しました。昔からリエンデ畑はエブロ川の氾濫の影響で堆積物と砂利で覆われた土壌のため、ここのテンプラニーリョはクリアンサには向かない難所畑と言われてきました。しかし、父親が植樹した畑という特別な思いと難しいからこそ挑戦したいという精神でブドウ作りを開始しました。人生の大半をワイン作りに捧げる父親へのオマージュを込め、アンドレス・ロメオの畑(La Vina de Andres Romeo)と名付け、2001初ビンテージが完成しました。化学肥料を使わず土に帰る生物分解性の堆肥や羊の糞など自然に乗っ取ったやり方で良質のワインを作ることは本当に大変なことですが、ポテンシャルが高くタンニンがしっかりしたワインになったと思います。また2013年はブドウが台無しで収穫量が激減しているところが多い中、我々は今年、この畑から厳しい気候にも耐えた良質のブドウを収穫することができました。 ◇Contador de Gallocantata (Que bonito cacareaba) 2002 完成までの秘話 昔リオハでは赤ワイン作りに白ブドウを混ぜていましたが、リオハでは良質の白ワインはできないという理由で白ブドウの樹を抜くよう行政が指示し、そのための助成金が支払われていました。世の中が白ブドウ、白ワインから遠ざかる中「よし!ならば白ワインを作ろう!」とその流れに逆行したのです。リオハの土着品種を使って可能な限り今までと違う白ワインを作ろうと模索し始めました。リオハは歴史的に多品種のブドウを混植する区画が多かったのですが、当時少なくなったガルナッチャ・ブランカを探し、マルバシアとビウラを混ぜ、リオハが今までやってきたコンセプトとは異なるワインを作ったのです。作り方は赤と同様で、収穫後に24時間のマセレーションをした後、7~8ヶ月樽熟をかけています。今までとの違いを表現するためブルゴーニュボトルを使い、こうして赤ワインのような熟したパワフルさ、PHもよく、酸もきれいでタンニンを感じられる歌う鶏(Condor de Gallocantata)2002が世に生を受けました。 完成から2年目にカリフォルニアのGallo社が、ネーミングが紛らわしいと名前の変更を要求してきたため、鳴く鶏から“なんと美しく鳴いていた鶏だったことか!”(Que bonito cacareaba)に改名しましたが、エチケットデザインがほぼ同じだったので、当初は誰も気づいていませんでした。 このワインはスペイン国内で高級で高価なワインという認識が広がって行ったのですが、良質の白ワインを作るのは赤を作るより大変で、実際、モスト(ブドウの絞り汁)を作るのにボトル1本あたり2㎏ものブドウが必要ですし、樽熟用に新樽も用意せねばならず、思った以上にコストがかかるのですが、名前を変えたことが逆に功を奏し、世の中の注目度も高まり、販売数も伸びていきました。
◇Predicador tinto 2004 完成までの秘話
2003年は世界的な異常気象が起こりヨーロッパでも暑さで多くの人が亡くなった年でした。我々もその年は、少しでも新鮮なうちにブドウを収穫しようと早い時期に手早く収穫を行ったことを覚えています。 またその頃から、手狭で設備の揃わないガレージ醸造から脱却する新たなボデガ建設の構想も始まり、生産本数も多く値段も手頃で多くの人に飲んでもらえるワインを作りたいというアイデアも頭にありました。 その思いに拍車をかけたのは、当時インターネットの掲示板などで「ボデガ・コンタドールは金勘定だけを考えているボデガ(Contador)だと中傷するコメントが上がっていたこともあったからです。 自分のワインは高額ですが、良質のワイン作りにはお金がかかります。だからといって金儲けありきではないし、それではいいワインなんてできない。 そんな想いを伝えたかったのです。自分のスタイルを守りながら、リーズナブルなワインを作りたい、そうして生まれたのがプレディカドール 赤(Predicador tinto)2004です。訓戒者という名前は、クリント・イーストウッド主演の映画「ペイルライダー」にちなんだもので、イーストウッド扮する訓戒者(プレディカドール)が自分のやり方で世の中の正義をジャッジしていく様を、 ワインの正当な判断を下す自らのミッションを重ね合わせました。名前も短くインパクトがあり、音の響きがコンタドールと同じ韻を踏んでいるのもよかったです。そしてエチケットには、 イーストウッドのトレードマークである黒いシルクハットを選びました。
◇Predicador blanco 2007 完成までの秘話
お金はなかったけれど、頭の中にある構想は明確でなんとしてもこれを形にしたかった。幸運にも銀行が自分を信じお金を貸してくれましたが、これは重大な投資でした。2007年は、新ボデガ建設、EUクライシスが重なり、何度も挫けそうになりましたが、母親から「あなたはもっと幸せになる」と言われた言葉が励みになり、いろんなことを乗り越えてきました。 この年、何かのクパージュをしたい、ケ・ボニートに似ているが違う何かをと生まれたのがプレディカドール 白(Predicador Blanco)2007です。醸造プロセスはケ・ボニートと同じですが、樽熟成に新樽とケ・ボニートに使用した旧樽を使用しました。
◇Carmen Hilera 2007 完成までの秘話 2006~2007年は新ボデガづくりに集中していました。ある日、久しぶりにカーヴに上がった時、ふと“父親のワインを作ったのだから、母親に捧げるワインも作ろう”と思ったのです。このころは精神的に苦しい時期で、母親からの励ましの言葉が原動力に繋がり乗り越えられたことが多く、その感謝と尊敬の念を込め、母親の名前を付けたワインづくりを決めたのです。自分の起源はクラシックですし、レストラン『レコンド』所有の古いワインも好きで購入していたのでクラッシックへの造詣もありました。 そこで、自分流のやり方でクラシカルなもの、熟成はカーヴでと決め、カルメン(Carmen Hilera) 2007が誕生しました。母親の結婚式の写真をエチケットにしたのは、彼女を世界的に有名にしたかったし、母親が服飾デザイナーだったので、裁縫のギザギザと青色の文字は布に印をつけるチョークを表現しています。このように各エチケットにはいろんな意味を込めています。 長いCrianza、高緯度の区画から採れた4種のブドウを使い、熟しすぎず、PHも低い、エレガントで繊細な滑らかさがあるワインです。
◇a mi manera 2014 試飲会の最後に、採れたての最新ワインを試飲していただき、ファーストビンテージと比較してもらうことで、ボデガ・コンタドールの変遷ヒストリーを感じてもらいたいと思います。今年9月30日に収穫をスタートし、マロラクティック発酵させ、3日前に瓶詰めを行ったワインです。今年は天候の影響で収穫がかなり遅かったでした。酸があり、フレッシュで、楽しめる、とてもフルーティな早のみのワインです。しばらく寝かせても悪くはないが、果実味は失われてしまいます。今年はエチケットを刷新し、息子のアンドレスが書いた1954年製、カリフォルニアのナンバープレートをつけた赤のキャデラックを付け加えました。私はこの年のワインが大好きです。 自分のビンテージワインを始めた1999年から18年経ちましたが、あの日が昨日のことのように鮮明に思い出されます。すべては私を支えてくれたスタッフ、家族、そしてみなさんへの感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございました。 ベンハミン・ロメオ
2013年10月14日に、スペインはリオハのサン・ビセンテ・デ・ラ・ソンシエラ村のテルセラエスタシオン(バル)で行われた、ファーストヴィンテージ試飲会の模様をお知らせいたします。 |